Special - Interview

琉球の血を引く世界のエンターテイナー仲宗根梨乃インタビュー

仲宗根梨乃

ジャネット・ジャクソン、ブリトニー・スピアーズ、グウェン・ステファニーなど、名だたるアーティストのダンサーや振付師、またコンサートなどの演出家として活躍し、いまや世界にその名を知られる仲宗根梨乃。マイケル・ジャクソンのようなエンターテイナーになりたいと決意し、19才で渡米した彼女は、どのような歩みを経て今に至ったのだろうか。生まれ故郷である沖縄への想い、そして次世代の育成についてまで語ってもらった。世界の第一線で活躍する沖縄出身の1人の女性の軌跡を知ってもらいたい。

マイケル・ジャクソンがベストティーチャーだった

―ダンスは小さい頃から得意だったんですか?

仲宗根:保育園のときからポンキッキや光GENJIの真似をして、お遊戯会でも積極的にダンスをしていたみたいです。小学校5年の頃、映画『ムーンウォーカー』のマイケル・ジャクソンを見て、そこから目標が一気に世界になったんです。

―その頃からプロになることを意識していたんですか?

仲宗根:矛盾しているように聞こえるかもしれないですけど、プロを目指していたわけではなかったんです。だけど、「自分はそこに立つ!」「絶対できる!」というか、「なる!」と思っていました(笑)。

rino

―マイケル・ジャクソンになる?

仲宗根:そうです。マイケルになりたい。「私はあのビデオのなかにいるんだ!」っていう感じで練習していたんですよ。

―「なりたい」じゃなく「なる」と。

仲宗根:そう、夢とかじゃなかったんですよね。根拠は無いけど、そう信じ込んでいたというか。でも、ちゃんとクラスでレッスンを受け始めたのは19才でLAに行ってからです。それまではマイケルやジャネット(・ジャクソン)のビデオを見ながら、自己流で練習していました。沖縄の事務所でレッスンを受けたこともあったんですけど、当時の沖縄には私が求めているものがなくて。だから当時の私にとって、マイケルがベストティーチャーだったんです。

―LAに行ってからは?

仲宗根:LAにはビデオで見ていたダンサーがいるわけですから、ダンススタジオでも取りたいクラスがありすぎで。実際、マイケルと一緒に仕事している人たちは本当にレベルが凄かったんです。マイケル自身も「学ぶなら、ベストな人から学びなさい」っていう言葉を残しているんですけど、まわりのレベルが高ければ高いほど自分のレベルも上がるので、意識的にそういうところに行くようにはしていましたね。

背中を押してくれたジャネット・ジャクソンとの出会い

―ビザが切れて日本に戻らなければいけないタイミングで、ジャネットのバックダンサーに合格したそうですね

仲宗根:はい。ビザがないと働けないのは知っていたけど、私は受かっても受からなくても、ジャネットのオーディションを見過ごすわけにはいかなかったんです。そうしたら本当に受かって、ジャネットが私のビザを出してくれたんです。まさか私のアイドルだった人が、私を助けてくれるなんて、夢のまた夢ですよね。

―それが24才くらいですよね。アメリカに行ったのは19才のときですけど、その間の5年はどんな期間でした?

仲宗根:大学で美容の勉強をしながら、ダンスのクラスを受けたり、オーディションを受けたり。学生ビザだったから、オーディションに受かっても働けないんですけど、私の存在を知ってもらうために、オーディションだけは受けまくってました。相手にとっては迷惑なことかもしれないけど。

―凄いハングリーですよね。でも結局は、ジャネットのツアーには参加しなかったんですよね?

仲宗根:そうなんです。その前にブリトニー・スピアーズとマドンナがコラボした“Me Against The Music”という曲があって、そのミュージックビデオでダンサーをしたことがきっかけで、ブリトニーのワールドツアーへのオファーを受けたんです。私はジャネット一本でやるつもりだったんですけど、ジャネット側から「ワールドツアーを経験すれば絶対に成長するから、あなたのキャリアのためには、ブリトニーのツアーに参加したほうがいい。あなたとはまた働けるから心配しなくていいよ」と言われて。

rino

―いい話ですね。

仲宗根:本当に素晴らしいですよね。ジャネットが私のためを思って背中を押してくれた。だから私も次の世代の子たちに、そういうことが言える人でありたいです。

―実際、ブリトニーのツアーで得るものはありました?

仲宗根:めちゃくちゃありました。まずスピード感がものすごいんですよ。短期間でツアーのすべてを学ばないといけない。ダンスに関しても、それまで私は男の子っぽい踊りしかやってなかったけど、下着でのパフォーマンスとか、ハイヒールを履いてセクシーなダンスとか、女性っぽいスタイルを学びながら、同時進行で振り付けも覚えないといけない。私以外の全員がジャズやバレエをできるダンサーだったから、自分だけできないことも多くて。そういう追い込まれた状況で、とにかく毎日やり続けて、プロの世界の厳しさ、レベルの高さ、何が必要なのか、いろんなものが見えてきて。そこで、どうやったら自分のよさを出していけるかを常に考えてましたね。

少女時代の振り付けをすることになったきっかけは、YouTube?

―仲宗根さんのキャリアにとってもうひとつ転機になったのは、K-POPグループの振り付けだと思うんですけど、少女時代、東方神起、SHINeeなど、多くの振り付けをされましたよね。特に少女時代の“GENIE”は、“美脚ダンス”が韓国だけでなく世界的にもブームになりました。

仲宗根:K-POPの勢いには、凄い! と思いましたね。それとYouTubeの影響力の凄さというか。ここまで世界中に広がるのか! と驚きました。

―そもそもなぜK-POPの振り付けをすることに?

仲宗根:SHINeeがデビューするときに、新しいスタイルの振付師を探していたらしくて。それで、誰かが私のレッスンの映像をYouTubeにアップしていたんですけど、それを向こうのダンサーが見て、「この人はどうですか?」と提案してくれたそうです。

―すごいですね。普通にクラスで教えている映像をYouTubeで見て、韓国で最大手の事務所が振り付けを依頼するっていう。

仲宗根:時代ですよね。韓国の方たちって、可能性に対してすごくオープンで、リサーチのレベルも尋常じゃない。今は、YouTubeでプロになれる時代でもあるんだから、チャンスはほんとどこに転がっているかわからないです。

rino

―その分、ライバルも増えるから、より実力が求められるんじゃないですか?

仲宗根:結局、今はアイデアなんだと思います。もうクリエイティブ的にはやりきったというか、みんなコピーでしかないから、それをどうユニークに打ち出していくというか。

―今は、誰でも世界中の人とつながれる時代ですもんね。

仲宗根:本当にそう。最初は私がYouTubeで探してもらったけど、いまは自分が他の人を探している。私がマイケルを見てダンスをしてきたけど、いまは違う子たちが私を見てダンスしている。そう考えると、夢のような話ですよね。

仲宗根梨乃として、エンターテイナーになりたいんです。

―仲宗根さんはLA在住ですが、最近は沖縄に戻ってのお仕事も増えてますよね。地元への想いは?

仲宗根:もちろんあります。ただ、沖縄にはチャンスが少ないなと思うんです。可能性がある子はたくさんいるけど、結局オーディションは東京で行なわれるし、新しいスタイルを教えられる先生も少ない。だから、そういうチャンスを作るためのヘルプができたらと思ってますね。そのためには、企業の方とかにもダンスに対しての可能性を知ってもらって、そこにお金をかけてほしい。たとえば韓国では、国がバックアップしてブレイクダンサーを育てたりするんですよ。私は、そこに絶対価値があると思うんです。どこの世界だろうと、キッズは大切ですから。

―才能ある沖縄の子供たちをバックアップしたいと。

仲宗根:そうです。だけど、可能性のあるキッズは、世界中にいる。もちろん沖縄を第一には置きたいけど、結局は才能なんですよね。これはアメリカンチックな考え方かもしれないですけど。才能があれば、どこの国の人でも関係ないし、それが本来の意味でワールドピースだと思うし。将来はエンターテイナーを作り上げる側にも立ちたいので、たくさん若い子に出会って、その縁を大切にしたいです。もしかしたら将来一緒に仕事できるかもねっていう。だから、どんどんアタックしてきてほしい、私のところに。

rino

―今はワークショップやオーディションなどもされていますよね。例えば、沖縄の子を見ていて、他の地域の子にはない特徴とかありますか?

仲宗根:沖縄の子たちは、すごくハートがオープン。それに素直。でも、恥ずかしがりで、のんびりしている子も多いので、もっと自分を出してほしいなと思います。やりたいことがあったり、立ちたい舞台があるなら、常にアンテナを張って、ハングリーにならないとダメ。それと、もっといろんなエンターテインメントを見てほしいですね。ジャンルに関係なく。何が自分とつながるか本当にわからないから。

―昨年沖縄でやられた舞台『TEE!TEE!TEE!』でも、空手を使った振り付けをされてましたよね。

仲宗根:あれはストーリーのなかに空手が出てくるんですけど、黒帯を持っていた俳優さんたちに「どういうものがありますか?」とその場でやってもらい、そこから私がダンスに変えるという流れで振り付けました。そういうフュージョンは大好きなんです。空手がダンスに変わるなんて、かっこいいじゃないですか。

―それこそ新しいアイデアですもんね。

仲宗根:だから、何が役に立つかなんて、わかんないんですよ。例えば、ダンス以外のスキルがあるとアドバンテージになる。『TEE!TEE!TEE!』でも演出の宮本亜門さんは舞踊や、空手、三味線ができる人を選んでいたし、ダンス以外の何かを習得することも大切ですね。特に沖縄にいるなら沖縄の伝統芸能とか、学ばなくてもいいから、沖縄にしかないことを見てほしい。その点、当時の私は外ばかり見ていて、早く沖縄を出たいと思っていたので、少しの後悔もあります。

―もっと沖縄っぽいことをやっておけばよかったと?

仲宗根:そう。ただ、私はおばさんが琴の先生をやっていて、発表会は見に行ってたので、その影響は何かしらあると思います。だから、ちょっとでもいいと思うんです。そのマスターにならなくてもいいけど、ちょっと触れるだけで表現の幅が広がる。沖縄には沖縄にしかない文化が沢山あるから、すこしでもそういった文化に触れるべきだと思います。

―今は、ダンスにはじまり、TV・CMや映画への出演など様々な舞台で活躍をされていますが、仲宗根さんご自身としては、今後はどんな姿を見せていきたいですか?

仲宗根:枠にハマらず、いろんなジャンルで活動したいです。最近は演技への意欲も芽生えてきたので、アメリカに帰るたびに演技のクラスを取ってますし。私は仲宗根梨乃として、エンターテイナーになりたいんです。振り付けのお仕事もやる、ダンサーとして舞台にも出る、テレビや雑誌にも出る、コンサートを演出する、何かをプロデュースする、いろんなジャンルで新しいことを吸収して、そうするとまたやりたいことが増えて、終わりはないんだなと思います。

―やればやるほど、やりたいことが増えていくと。

仲宗根:とにかくエンターテインメントが大好きなんですよ。私はエンターテインメントに救われたし、ダンスと音楽のパワーのおかげで生きてこれた。だから振付師として終わるんじゃなくて、エンターテイナーとして、常にいろんなものに触れながら自己表現の場を広げていきたいですね。

rino

仲宗根梨乃
仲宗根梨乃

Profile

仲宗根梨乃

1979年6月11日 沖縄生まれ
ダンサー / コレオグラファー(振付) / モデル
現在、アメリカ合衆国ロサンゼルスを拠点に、全米やアジアで活躍中。
http://rinonakasone.com/

Editor’s Choice

編集部のオススメ

Facebook

ページトップへ戻る