Special - Interview

琉球舞踊を次の世代に継承する。若きホープ・佐辺良和インタビュー

佐辺 良和

琉球舞踊や組踊など、沖縄には数々のあるが、馴染みのない人にとってはけして取っ付きやすいものではないのも事実。伝統が重んじられるこの世界の中で若きホープとして注目されているのが佐辺良和だ。2015年、日本伝統文化振興財団賞を沖縄県人で初受賞をした佐辺さん、自ら女形(男性が女性を演じる)として数々の国内外の公演を経験してきた。脈々と続く伝統の中で、80年生まれの彼が考える、沖縄の伝統芸能の今とこれからに迫った。

6歳から、ただただ好きで続けてきた琉球舞踊

—佐辺さんは6歳のころから琉球舞踊を始められたということですが、一般的にもそのくらいの年齢から始めるものなんですか?

佐辺良和:周りの同年代の琉球舞踊のメンバーはだいたいそのくらいの年齢ですね。

—6歳って、周りはファミコンとかで遊んでる年頃ですよね?

佐辺良和:うちは、親がゲームを許さなかったので、そこに興味はあんまりいかなくて。なんというか、当時から舞踊をやることは自分の中では普通のことでした。自分のやるべきものという感じでしたね。

sanabe

—琉球舞踊一直線! といった感じなんですね。

佐辺良和:親から聞いた話では、琉球舞踊を習う前に、日本舞踊やバレエを見せたりしたらしいんですけど、全く興味を持たなかったらしくて。今はバレエもクラシックも見たりしますけど、その時は全然だったらしいんです。バレエをやっていたら、もっとスタイルも良くなっていたと思うんですけど(笑)。

—6歳から始めて、途中で挫折とか、やめたいと思ったことはないんですか?

佐辺良和:小学校高学年になると、やっぱりからかわれるんですよね。ニュースに自分がチラッと映ったりしたら、学校で先輩に「おまえ、出てただろ!」みたいな感じで。でも、お稽古するとそんなの全部忘れちゃうんですよ。全部リセットされてしまうというか。

—稽古がきつくてツラいとか、なかったんですか?

佐辺良和:それはなかったですね。師匠には褒められないどころか、常に怒られてばかりでしたけど、それが結果よかったんだと思います。6歳からずっと、舞踊と真剣に向き合える環境を師匠がつくってくれた。師匠とは人生の中で親よりも長い時間一緒にいます。
 

琉球舞踊は、もともとは「祈り」から生まれた?

—今回、日本伝統文化振興財団賞を受賞されましたが、この賞はどういった形で?

佐辺良和:推薦委員の方が推薦したメンバーの中から選ぶ形らしく、今年はいろんなジャンルから28名が候補に挙がったようです。

—名実ともに、沖縄の期待の星ということですね。

佐辺良和:いえいえ……。ただ沖縄で初の受賞ということもあり、沖縄の芸能に光をあててくれたという意味では、本当にすごくありがたいことですね。

—まわりの反応はどうでした?

佐辺良和:東京と沖縄で授賞式があったんですけど、東京で取材を受けた時に、「もっと東京で活動してほしい」というお言葉をいただいたんです。そこで気づいたのは、沖縄県内で忙しく充実した舞台活動を続けただけである程度満足してしまっていたな、ということでした。

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—まだまだ届いていない、と。

佐辺良和:そうです。やっぱり自分たちの現状をもっと客観的に知る必要があるのかもしれないです。だからこそ今回の受賞で、沖縄の芸能をもっと広く知ってもらえるようにしたいなと思いました。

—では、その沖縄の伝統芸能について教えてください。そもそも、琉球の古典芸能ってどういうものなんですか?

佐辺良和:もともとは首里城の中で生まれた歓待芸能なんです。琉球王国の王様が代替わりする時に、中国の皇帝から前の王の弔いと新国王の任命として使者を乗せた船が来るんですけど、風向きの関係で6〜9ヶ月ほど沖縄に長期滞在するんです。その使者の接待のためにできたのが組踊と言われています。

—国事から生まれた文化なんですね。

佐辺良和:その組踊の前にあったのが、琉球舞踊です。琉球舞踊って「祈り」なんですよね。沖縄は「祈りの島」とも言われているのですが、神に祈る・捧げる、そういった行為が歌となって、歌に振りがついたものが琉球舞踊だとされています。踊りの際によく使われる「こねり手(踊り中に手をこねること)」という動きも祈りからきていると言われています。

—琉球舞踊は祈りのダンス。組踊は、外の方を迎え入れるためのものとして生まれたんですね。

佐辺良和:「我々の国はこれだけの高い文化を持っているんだよ」と、舞踊や音楽、工芸を披露してきた。そういった意味でも、こんなにちっちゃい島だけど、歌や踊り、工芸品がいっぱいあるというのは、小さい島だからこそ強くなきゃいけないという想いがあったんでしょうね。

©大城洋平

佐辺 良和 ©大城洋平

—なるほど。実際に組踊とは、どういうものなんですか?

佐辺良和:琉球舞踊は舞踊だけなんですけど、組踊は歌・踊り・台詞の3つで構成されていてストーリーになっています。沖縄版ミュージカル、というとわかりやすいかもしれません。

—なるほど。でも、沖縄の言葉がわからないと難しいですよね……?

佐辺良和:うちなーぐち(琉球方言のうち、沖縄諸島中南部で話される方言)がわからないと理解しにくいとは思いますが、最近は字幕込みの公演もあったりします。もちろん、字幕がなくてもわかるほうが面白いと思います。この間、あるお芝居の映像を観たんですが、これがもうドリフのように面白かったんです。言葉がわからないという理由でこの面白さが伝えられないと思うと、やっぱり悔しくして。
 

「わからないんですけど、ただ踊りたくなるんです。」

—舞踊における「完成形」ってあったりするんでしょうか?

佐辺良和:難しいところなんですが、やっぱり完成がないものなんですよね。だから、若いときは私もすごく迷っていたと思います。先生や先輩の真似をしても、できているかできていないかわからないですし。
25歳ではじめての独演会を終わった頃、世阿弥の『風姿花伝』というお話に出会ったんです。その中で、ちょうど「6歳の時に能の猿の演目から芸能を始めて、一番最後に習うのが狐、それが24〜5歳までに終わる一通りの修行」という言葉を知って。始めたばかりのなんにもわからない頃が初心ではなくて、一通り良いも悪いも習ったときが「初心」。独演会を終わった後だったから、まさにその言葉が響いてきて、なるほどなと。

—芸をやる上で極めていくべき部分は、身体的なものだけでなく、精神的なものもなんですね?

佐辺良和:両方でしょうね。私も今まで見てきた舞台の中で、この舞台すごい! とか、この先生がすごい! というものがいくつかあるんですけど、それに近づきたいとか、見る人を幸せにさせたいとか、その一心なんです。芸って一瞬なんですけど、心に残るものって、今でもその舞台を思い出すと幸せが蘇ってくるんです。だからそこに近付きたいっていう想いから、いつも踊りたくなるんですよね。やっぱり稽古したいって。

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—佐辺さんは演じる側ですが、この文化自体を広げていくような活動もやられているんですか?

佐辺良和:周りも含め、積極的にやっています。学生の頃から舞台づくりを自分たちで企画してやっているので。本当は舞台だけに集中したいんですけどね(笑)。でも、歴代の沖縄芝居の座長さんというのは、役者でもあり、経営者でもあり、演出家、指導者でもある。そういうトータルな部分を含めたのが「座長」だと思うので、そういったものも勉強かなと。

—では、佐辺さんから見て、沖縄における伝統芸能の課題ってありますか?

佐辺良和:それはやっぱり、若手の継承です。言い換えればこれは、芸だけで飯が食っていけるか、という現実です。沖縄では、芸だけで食べていくというのが、未だ難しい現状です。

—経済的な課題を解決できれば、後輩たちが育つし、継承されていくと。

佐辺良和:そうであってほしいです。もちろん舞踊は、嗜みのひとつであっても良いと思うんですよ。仲間由紀恵さんが琉球舞踊をなさっていますが、ああいう感じで琉球舞踊をたしなんでいる人が俳優になる、女優になるっていうのは、僕の夢でもあるんです。そういう人を見て、子どもたちが育ってもいいのかなって。
 

新しいものをつくっていかないと、古いものの良さもわからなくなる

—伝統的な琉球舞踊から組踊から、比較的新たな芸能とされている沖縄芝居もなさる佐辺さんですが、やはり伝統だけでなく、新しい表現にも積極的でいらっしゃるということでしょうか?

佐辺良和:昔は、若手が「沖縄芝居をやりたい」って言ったら、「半人前の琉球舞踊もしっかりできないやつらが芝居なんて!」って、すごく叱られたり、納得する先生も少なかったんですよ。

—厳しい時代があったわけですね。

佐辺良和:沖縄芝居は組踊の糧になるから、ぜひやったほうが良いという先生もいるんです。沖縄芝居のリアルな演技の仕方に、その面白さがあると思いますし。組踊はその反対で抑えた表現におもしろさを感じているところなので、そういうことは双方を経験したからこそわかることだと思っています。

©大城洋平

佐辺 良和 ©大城洋平

—伝統的な表現と新たなものを両立させることで、相反するようなところはありませんか?

佐辺良和:多少はありますね。琉球舞踊や組踊って、当たり前ですけど師匠と違ったことをすると怒られるんですよ。でも、沖縄芝居の場合は、先輩の演技の真似をすると怒られるんですね。教えて頂いている先生に「あんたはあの役者と同じことしちゃダメだよ」って(笑)。

—全然ルールが違うんですね。

佐辺良和:沖縄芝居の場合には、ファンを掴むためには人と同じことをしてはいけない、というのがあるんです。今の『沖縄燦々』(世界的にも評価が高い舞踊劇)も、賛否両論なんですよ。シンセサイザーやバイオリンなども色々使うので、少し軽く見られてしまう。だけど、これがもう10年、20年したら新しいことではなくなって、「普通」になるんだろうなって。何が伝統であるのかは、今自分たちが一番考えなくてはいけないこと。やっぱり、守っていくだけでは芸能が生きてこないと思うし、新しいものをつくっていかないと、古いものの良さもわからなくなると思うんです。
 

沖縄発、世界に通用する伝統芸能

—普段から沖縄という場所を客観的に意識することはありますか?

佐辺良和:最近は特に感じますね。今から3年前に琉球舞踊を教えるためにソウルの大学に行ったのですが、生徒に「沖縄はどこでしょう?」と地図を見せた時に、だれも当たらなかったんです。それがショックで。

—日本の一部だと認識はしているけど、実際には知られてないと。

佐辺良和:沖縄に帰ってきてしまうと、日々の忙しさでそういうことも忘れてしまう。そうしたときに、様々な歴史の中で、先人たちがどういう思いで沖縄を守ってきたのかを考えるんです。そのなかで、つくりあげてきたものを守って、また伝えていくことは大事なことだと思います。

—国外公演も活発でいらっしゃいますが、国によって、観客の反応って違うものですか?

佐辺良和:持っていく作品によっても違いますが、ヨーロッパに行くと古典的な作品や組踊が喜ばれますし、アメリカだと軽快なものが喜ばれると言われています。衣装にしても、独自のものがあるっていうのは強みですよね。目に入ってくるものが最初だったりするので。

—日本の小さな島である沖縄から生まれた世界に通用する芸能。誇るべき素晴らしい文化ですね。

佐辺良和:先達たちがつくってくれたもの、受け継いできたものですからね。やっぱり、多くの人に受け入れられると嬉しいですし、脈々と受け継がれてきたこの伝統をもっと広げていきたいな、って思います。

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佐辺  良和
佐辺  良和

Profile

佐辺 良和

琉球舞踊家、組踊立方。 琉球舞踊世舞会 師範、伝統組踊保存会 伝承者、琉球舞踊保存会 伝承者。 沖縄伝統組踊「子の会」事務局長。

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