Special - Interview

沖縄クラシック界の未来を背負う男。渡久地圭インタビュー

渡久地 圭

沖縄のクラシック音楽シーンを背負って立つ男。なんていうと本人はいやがるかもしれない。しかし、フルート奏者の渡久地圭は、たんなる演奏家という立ち位置に留まらず、自らが主宰する団体「ビューロー・ダンケ」を率い、沖縄において数々のコンサート企画を立ち上げ、沖縄のクラシック界の活性化を目指している。本部町という田舎に生まれ、ドイツの大学を経て、オーストリア・ウィーンへ留学。そして2012年に沖縄へ戻り、海外で過ごした経験と視点を持って奮闘する彼は、沖縄のクラシック界の新旗手だ。甘いマスクと優しいたたずまいの裏に隠された情熱を、ぜひ感じてもらいたい。

自分には音楽以外考えられなかったんですよ

—クラシックの本場オーストリア・ウィーンで経験積み、現在、「ビューロー・ダンケ」の代表と「楽友協会おきなわ」の副代表をされている渡久地さんは、もともとは本部町のお生まれなんですね。

渡久地:そうです、ド田舎です(笑)。本部自体が田舎なんですが、その中でも外れで、街灯もないようなところで。県外の友達を実家に連れて行くと、「よくこんなところから出てきたな!」って言われるくらいですよ。

—もともとはどういう音楽を聴いていたんですか?

渡久地:最初は映画音楽とかイージーリスニングのレコードを家で聴いていました。なんというか、ここじゃないどこかへ連れて行ってくれる、そういう気分に浸るのが好きだったんです。とは言っても、フランス映画の音楽なんて聴いてみても、本部の田舎では想像すらできないんですけどね(笑)。

—その後はどのように音楽と関わっていったんでしょうか。

渡久地:幼稚園の頃に「ピアノを弾きたい」って、自分から言ったことは覚えています。その後、両親の転勤で伊平屋島に2年ほど住んだんですが、そこにオルガンがあったので触って遊んでいました。そして小学3年生で本部に戻ってきて、あらためてピアノを習うことになったんです。

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—フルートとの出会いは?

渡久地:小学校の音楽の教科書の裏表紙をめくると、ヴァイオリンとトランペットとフルートの写真があったんです。それを見て「これをやりたい!」と直感的に思ったんですよね。フルート自体のシルエットとか、ビジュアル的なところに興味があったのかな。シルバーのピカッと輝いた感じや、キーとか吹込口の形が美しくして。

—直感でフルートを。

渡久地:そうですね。高校も、音楽コースのある高校に行きました。父親からは「高校から進路を狭めるのはよくない」と言われたんですが、自分には音楽以外の選択肢が考えられなかったんですよね。
 

沖縄発、東京経由、ウィーン。技術を磨くために世界へ。

—その後、南風原町の開邦高校から、東京の武蔵野音楽大学に進むんですよね。

渡久地:別に東京に行くことを目指していたわけでなく、音楽を追究するとなるとやはりレベルの高い人たちが集まっているところで学びたいなと思ったんです。高校3年生の時に、コンクールで全国大会まで行ったんです。田舎者だからあまり実感はなかったんですが、そういう体験を通じて、ようやく東京に出るということも現実味が出てきたというか。

—大学生活はどうでしたか?

渡久地:それまでは「音楽が好きだ!」という気持ちだけだったのが、大学では自分の課題が見えてきて、目標も生まれました。あと、東京に行ってから初めて沖縄の音楽やクラシック以外の音楽の良さに気付いたんですよ。THE BOOMのファンになってコンサート行ったり、ラテンやアフリカの音楽なんかも聴くようになって。

—演奏家としても幅を広げていったと。

渡久地:多少は広げられたかと思いますが、本部の実家に帰って沖縄音楽を吹いてみたら、やっぱり西洋の音律と沖縄の音律は全然違うということもあって、うまく入り込めない自分を目の当たりにしちゃって。それならいっそ、もっと技術を磨きたいと思い、クラシックの本場へ留学を決意したんです。

—それでウィーンに渡ったんですね。

渡久地:なんのつてもなく、6ヶ月の間にいろんな学校や先生を探して、流れ着いたのがドイツのデトモルト音楽大学でした。そこで4年半学んでから帰国する際、ウィーンに寄ったところ、たまたま沖縄出身のヴァイオリニストに出会ったんです。そしたら「まだ帰る時期じゃないでしょ?」って話になって(笑)。そのとき、マインハルト・ニーダーマイヤーというウィーン・フィルの首席奏者の方に出会ったんです。直感的に自分とってこの人は、非常に重要な人だと感じたので、すぐにレッスンをお願いして、それから師事させていただくことになりました。

沖縄に必要なのは、音楽を世に広げる、プロデューサーの存在?

—そこからウィーンにしばらくいらしたんですか?

渡久地:沖縄とウィーンを行き来するようにもなったのですが、その期間も入れると結局は9年くらいですね。その間はオーケストラに入ろうとオーディションを受けたりもするんですけど、やっぱりアジア人や外国人というだけで合格のハードルが高いんです。そうこうしているうちに、沖縄でやりたいことが見えてきたこともあり、完全に沖縄を拠点に移しました。

—それが、2012年。でもなぜ沖縄だったんでしょうか?

渡久地:今もそうですけど、沖縄ってクラシックがまだまだ浸透していないと思うんですよ。僕がヨーロッパで見聞きしてきたようなスタイルを、沖縄の人たちにももっと知ってもらいたいっていう思いが芽生えたんです。

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—プレイヤーとしてだけではなく、もっとクラシックを沖縄に広めたい、と。

渡久地:その意識の変化は、ヨーロッパに行ったことが大きかったと思います。ヨーロッパでは、音楽家のレベルがすごいというのはもちろんなんですが、一歩引いてその音楽を世に伝えるプロデューサー的な立場の人も、凄い重要な役割をしているんですよ。

—まだまだクラシックの土壌が無い沖縄だからこそ、渡久地さんがその役割を担おうとしているんですね。

渡久地:もっともっと心臓を射貫くような研ぎ澄まされた音楽を聴く場が、沖縄にあってもいいんじゃないかと思うんです。実際、僕の周りにも、吸引力を持つすごい演奏家はいるし、テクニックをとことん突き詰めている演奏家もいる。だから彼らのことも、同じようにきちんと紹介したい。やっぱり僕たちはクラシックに魅せられてきたし、そこから幸せや高揚を感じて生きてきた。それを少しでもたくさんの人たちに感じて欲しいんですよね。

—それが、「ビューロー・ダンケ」という団体の活動につながっていくんですね。

渡久地:そうです。綺麗ごとじゃないけど、僕は素敵な沖縄をもっと素敵にしたいという気持ちがあって、それをクラシック音楽でできるといいなって思うんですよ。沖縄でもこういうシーンがあるんだねとか、こんなレベルの音楽があるんだってことに気付いてもらって、感性が開いていけば、さらに沖縄そのものが輝く気がするんです。

—そんな活動を続けていく上で、この数年で変わったと感じることはありますか。

渡久地:「ビューロー・ダンケ」の活動を徐々に知ってもらうことができて、徐々にお客さんも増えてきていますし、僕たちだけのことではなく、沖縄のクラシックシーン自体に活気が出てきたように感じます。この前コンサートの休憩時間にワインを出すということをやってみたんですが、ヨーロッパでは当たり前のことでも、日本ではまだそういう文化が根付いていない。それと、コンサートホールや劇場に行くだけでも気分が高揚するというのもあるけど、沖縄にはそういう場所が少ないんですよね。だから、スタッフは蝶ネクタイをして、女性はドレスを着て華やかに演出するということも始めたんです。少しずつですが、「こういった楽しみ方があるんだ!」って、思っていただけている手応えはあります

目標は、ウィーン・フィルの沖縄公演を実現すること

—渡久地さんには、なにか使命感のようなものもあるんでしょうか?

渡久地:思いついたらすぐにやってみようと思っちゃうんですよ(笑)。手助けしてくださる方も周りにたくさんいますし。でもたしかに、使命感もあるのかもしれないですね。クラシックで沖縄をよくしたいという気持ちはいつもありますから。僕がなにかやらないと未来は変わらないと思いますし。

—今後やってみたいと思うことはありますか?

渡久地:オーストリアの音楽祭にも出演したことがあるんですが、ああいうイベントが日本でもあればいいなあと思うんです。あと、世界的な楽団であるウィーン・フィルは何度も来日しているけど、やはり沖縄には来たことがない。だから、彼らが沖縄にも来られるような仕組みを、お金だけでなくその後の展開も含めて考えていきたいです。例えば、ウィーン・フィルが沖縄だけで演奏するプログラムがあるということだけでも、日本において沖縄が重要な場所であるっていう、メッセージを発することができると思うんです。

—たしかに、沖縄だからこそ実現できる企画があるかもしれないですね。

渡久地:「ビューロー・ダンケ」の企画に出てもらっている音楽家も、例えば東京でリサイタルをしようと思っても、なかなか難しい状況があるんですよ。でも、沖縄でしっかりと根を張ってコンサートを続けることで、各地にそのことが伝わって、沖縄が面白いことをやってると思ってもらえたなら嬉しいし、事実そうなりつつあるんじゃないかなと感じます。そうやって積み重ねたことが集約されて、いつか大きな結果が出るかなと思っていて。

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—なるほど。では、演奏家としての目標はありますか。

渡久地:演奏家としては、まだまだ自分の理想の演奏に行き着けていないので、それは努力しながら突き詰めていきたいです。沖縄だけでなく、いろんなところへ飛び出して演奏しに行きたいですね。そこで逆輸入的に沖縄のクラシックを知ってもらうきっかけがつくれたら最高だなって、思ってます。

渡久地 圭
渡久地 圭

Profile

渡久地 圭

本部町出身。県立開邦高等学校芸術科音楽コース、武蔵野音楽大学、ドイツ・デトモルト音楽大学卒業。またウィーンでも研鑽を積む。現在は沖縄を拠点に様々なスタイルでの演奏活動や、主宰するビューローダンケにてコンサートシリーズ企画も手がけるなど、幅広く活動中。一般社団法人楽友協会おきなわ副代表理事も務める。
http://buerodank.com/

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